FRISK JOURNAL

2017.12.14 Thu

レディー・ガガの厚底靴で世界を驚愕させたクリエイティビティ
/アーティスト 舘鼻則孝

 

斬新なアイデア・ひらめきをきっかけにイノベーションを起こした人たちにフォーカスするインタビュー企画。今回ご紹介するのは、舘鼻則孝。

極端な厚底。宙に浮いたヒール。オブジェにしか見えない靴をレディー・ガガが履き、世界中のファッション関係者を震撼させた、あの「ヒールレスシューズ」をデザインした日本人である。この大胆なフォルムを生み出したのが、若干24歳のとき。

レディー・ガガの厚底靴で世界を驚愕させたクリエイティビティ/アーティスト 舘鼻則孝

アーティストとして領域にとらわれない活動をする舘鼻に、ヒールレスシューズで原点回帰によるイノベーションを起こした7年前を振り返ってもらいつつ、その発想の原点、そして今後の活動について語ってもらった。

用途のある美術品とも言える"厚底靴"

「高校生の頃は、ファッションデザイナーになりたくて西洋へ憧れを抱いていたんですが、逆にそれが日本の文化へと回帰するきっかけになりました。そこで、大学では伝統工芸を学ぶことにしたんです。着物を友禅染で染めたり、下駄を作ったり、人間国宝のような先生方に学べることもあって、とても興味深かったです。だから授業では一度も靴を作ったことはありません。着物と下駄だけ(笑)」

だが、彼は大学の卒業制作で"洋服と靴"を作った。

「1985年生まれの僕は、西洋化した日本に生まれたし、当然のことながら洋服文化のなかで生きています。そのようなことからも卒業制作では、日本の伝統文化と現代文化の関係性を作品に表したかった。だから、着物や下駄を"洋服と靴"に置き換えたんです。それが過去の日本文化の延長線上に、現代の日本文化を積み上げることになると思ったんです」

伝統のなかに価値を見いだし、現代的にアップデートする。ファッションだけでなく、ビジネス領域にも通じるモノがあるように感じる。だがそれだけではない。必要だったのは"前衛性"だった。

「僕が表現したかった"前衛"的なもの。大学在学中に研究していた日本の装束のなかでも花魁のファッションには目を奪われました。彼女たちのファッションは、決して庶民がする格好ではありません。でも、花魁の着物やメイクは、たちまち町の娘たちに広がって、新しいムーブメントを起こす。そうしたスタイルこそ"ファッション"ですよね」

花魁の"ぽっくり"をヒントにした"厚底靴"を思いつくまでには、そう時間はかからなかった。ただし、完成には数ヶ月を要した。そこにあったのは日本工芸への強い思いだ。

「日本の美術は、工芸から始まっていると思うんです。工芸は用途のある芸術品と言えると思います。だから、その理論で考えるヒールレスシューズも"実際に歩ける"ということがとても重要でした。歩くという用途を叶えるものであると同時に、ミニマルに様式化された日本の美と西洋の文化であるファッションを表現できるもの。そのバランスを試行錯誤したことで、時間がかかってしまいました」

シンプルで用途に適した見た目でありながら、日本独自の美意識を盛り込む。その舘鼻ならではのバランス感覚こそが、世界にインパクトを与えたといえるだろう。

レディー・ガガ専属
シューメイカーとしての道のり

レディー・ガガ専属シューメイカーとしての道のり

「靴は歩けなければ意味がない」という舘鼻の言葉の通り、靴の前底面がしっかり地面についている「ヒールレスシューズ」は、極端なバランスの見た目に反して、履くとしっかり安定するように作られている。実際に履いた人によると「高さのあるヒールと変わらない感覚」というから、レディー・ガガだけでなくても、誰でも履いて歩くことができる靴なのだ。

ちなみに「ヒールレスシューズ」は、海外のファッションメディアが呼ぶようになった名前らしく、「僕には、そんなおしゃれなネーミングはできません。自分のなかではずっと"厚底靴"でした(笑)」。

ただし、卒業制作として作った当時は大学ではあまり評価されなかったそうだ。そこで舘鼻が目を向けたのは、海外だった。その情報発信のアイデアも実にユニークだ。

「ファッションジャーナリストやスタイリストなど、ファッション関係者のホームページにアクセスして、問い合わせのページから英文の説明と靴の写真を送りました。確実に目につくようにと、なるべく個人が運営していそうなサイトを狙って(笑)。

結果的に3件返信があり、全員とコンタクトが取れました。でも、そのうち2人はメディア関係者で賛辞を送ってくれたのみで、ビジネスとして成立したのはニコラ・フォルミケッティさんとの仕事だけだったんです」

 

ファッションディレクターであり、当時レディー・ガガのスタイリストを務めていたニコラ・フォルミケッティの目にとまった舘鼻則孝は、ここから約2年間におよぶ、レディー・ガガの専属シューメイカーとしての道のりが始まる。もっとも大変だったのは、「バレリーナになるための背の高いトウシューズがほしい」という注文。

「バレエとはまったく縁がなかったので、トウシューズがどんな構造なのかがわからない。すぐに買いに行き、分解したりしながら参考にして、翌日デザイン画を描いて送った覚えがあります。レディー・ガガの場合はとにかく毎回タイトなお願いが多くて、『3時間以内にデザイン画をちょうだい』とか、時間があっても翌日までに提出とかでしたね(苦笑)」

「クオリティありき」の品質重視マインドを持つ日本人にとって、スピードありきのオーダーはどう写ったのか。

「彼らが求めているのは、機能性よりも"自分のスタイルになるかどうか"。とくにレディー・ガガの場合は、ミュージックビデオの撮影で30分履いたらもうおしまい、という特殊な使用事情もあり、起爆剤となるようなインパクトあるアイデアを、スピーディーに出すことが最優先でした。

性分的に機能性をまったく無視したデザインは描けませんでしたが、瞬発力の重要性を学びましたし、ずいぶんと鍛えられもしました。作ったのは2年間で25〜26足ですから、平均すると作業時間もたいしたことがないように見えますが、実際にはすごく波があって、依頼を受けてからの数日間は本当に濃い作業の連続でした」

シューズ、文楽、
建築空間に一貫する思い

シューズ、文楽、空間デザインに一貫する思い

現在は、世界中から「ヒールレスシューズ」のオーダーを受け付けている。今後、シューメイカーとしての活動はどう考えているのか。

「『ヒールレスシューズ』は、ひとつの作品シリーズとして成り立っていると考えているので、靴という領域のなかでバリエーションを増やすことは考えていません。2010年時点での僕が考えるイノベーションの回答であって、今作るとしたら、まったく新しいもの、違うものになると思いますし、それが靴なのかというのも現時点ではわかりません」

その言葉を裏付けるかのように、最近はファッション以外の領域への進出がめざましい。2016年にはフランスのカルティエ現代美術財団で文楽公演の初監督を務め、今年は赤坂のレストラン「コーテシー」のクリエイティブディレクションを手がけ、食とアートを融合した空間を生み出した。今、自身の"肩書き"をどのようにとらえているのだろうか。

 

「ファッションの世界では、デザイナーがいて、パタンナーがいて……という分業制ですが、僕はもともとすべての工程を自分で手掛けていました。現在では、それをディレクションしてチームで活動しています。このスタンスから考えると作家という意味で、『アーティスト』という肩書きがもっともしっくりくるのでしょうね。作品を発表するという意味でも、現代美術という分野に関わるという意味でも」

そして、多彩な活動をしながらも、まったく変わらないものがある。

「『自分のアイデンティティを大事にしたい』という芯の部分は、『ヒールレスシューズ』を作ったときからまったく変わっていません。それを、時代感とどうリンクさせるか。たとえば文楽のように、素晴らしい無形文化財だとしても過去に取り残されてしまっているようなものもあります。

では、それをどう現代につなげるか? 過去の焼き直しではなく、現代に通じる新たなものとして表現する。そういうディレクションやもの作りにこそ、自分の役割があると思っていますし、目指すところでもあります。日本のファッションにおいては、『ヒールレスシューズ』が僕のひとつの答えでした。あの成功体験があるから、ほかのフィールドでも同じように紡いでいけるのだと思っています」

肩書きや役職にとらわれず、自身の能力と役割を柔軟にフィットさせる。そんな現代の働き方を高次元で実現しているようだ。多かれ少なかれ、これからはこうした考え方、生き方が求められてくるのかもしれない。

大学時代は「FRISK」で刺激を誘発

大学時代は「FRISK」で刺激を誘発

舘鼻の活動には、もうひとつ共通点がある。それはどれも"キャッチーである"ということ。ヒールレスという靴のデザイン、文楽というジャンル、アートと食の融合など、どれをとっても「これまでにないサプライズが待っているのでは?」と胸躍らせてくれるのだ。こうしたアイデアを生み出す秘訣はあるのだろうか。

「まずは、自分のなかに引き出しをどれだけたくさん持っているかが重要。あとは、その引き出しをどう運用できるかどうかですよね。基本的には、人は寝ているとき以外はなにかしら常に刺激を受け続けているわけです。興味がなくても自分の目で見る、記憶に残すことを心がけるだけでもいいと思います。そうすることで、ふとした刺激によって引き出しが開いて、なにかとなにかがつながるという仕組みができる。コピーのコピーは、もはや真似ではない別のなにかですから」

さらに、子どもや友人の存在も大きいと話す。

「自分ひとりだと、どうしても興味が偏ってしまうので、家族や友人とどこかを訪れてコミュニケーションを取ると、思ってもみなかった刺激を受けますし、記憶にも残りやすいですよね。子どもがいると、今まで行かなかったところに足を向けざるを得ないので、僕自身ずいぶん変わったと思います。でも、それがいい刺激にもリフレッシュにもなりますね。

あとは、同じ場所に時間やシチュエーションを変えて行ってみる。僕は、鎌倉の光明寺が好きで、高校生のときから年に数回訪れるのがルーティンになっています。行く時間帯や天気、季節や一緒にいる人で毎回感じ方が変わる。場所は同じなだけに、感じ方の違いで、多様な刺激を得られるんです」

実は、大学時代には"刺激を誘発"するために「FRISK」を愛用していたのだそう。

「自分のまわりでも、制作のときに食べている人は多かったです。僕はアメ代わりに食べている感覚もあるので、スーッとするミント系より、フルーツ系のフレーバーのほうが好きですね。だから、いわゆる刺激を求めるわけではないので『FRISK』好きとは言えないかもしれませんが、粒が大きくてマイルドな『FRISK NEO』ばかり食べています(笑)」

アイデアに詰まることはほぼないが、そこにたどり着くまでの過程でイライラ・もやもやすることはある。そんなときは「景色を変える」といいらしい。

「目の前の風景を変える、視界を変えるということは、想像以上に重要なことだと思います。視覚による刺激を与えることで刺激が誘発されると思うので、僕の場合はアトリエではなく、あえてカフェに行って考えごとをすることもあります。もしくは、アクションを変える。同じ仕事でも違うことをするようにすると、大抵はうまく進み始めます。成功率はあまり考えたことないですが、仕事が回っているのでうまくいっているような気がします(笑)」

 

舘鼻則孝がクリエイティブディレクターを務め、2017年9月にオープンした赤坂のベーカリーレストラン「COURTESY(コーテシー)」。アート作品から建築空間まで、すべてを手がけ、大きな注目を集めている。

最後に、気になる今後の展望を尋ねてみた。

「今は、ある世界観に入り込んでもらうための装置づくりに興味があります。たとえば、映画や舞台はファンタジーですが、あるメッセージ性や世界観を伝える表現方法として完成されていますよね。モノだけよりも、そこにストーリーがある方が、コミュニケーションとして受け取ってもらいやすいのかなと感じていて。

レストラン『コーテシー』の空間は、食事をする場所でアートを体験してもらえばアートのあるライフスタイルを実現できるだろうという出発点でしたが、改めて食事とアートはとてもいいコンビだと思いました。人が集う理由がある場所をつくったり、そこで体験できるストーリーを伝えていきたいですね」

日本の伝統文化に秘められた価値を現代的にアップデートする。その信念のもと、ヒールレスシューズでイノベーションを起こし、ファッションデザイナーの枠にとらわれず、前衛的で刺激に満ちたクリエイティブを生み出してきた舘鼻則孝。彼の“引き出し”から今後どんな楽しい驚きが出てくるのか、引き続き注目していきたい。

アーティスト
舘鼻 則孝

たてはな・のりたか/1985年、東京都生まれ。2010年、東京藝術大学美術学部工芸科染織専攻卒。シュタイナー教育の人形作家である母の影響で、幼少期から手でものを作ることを覚える。大学在学中は、明治期の文明開化を中心とした西洋化する日本について研究。代表作であるヒールレスシューズは、花魁の高下駄から着想を得て創作された現代日本のファッションとして世界で知られている。2016年3月にパリのカルティエ現代美術財団で文楽公演を開催、2017年にはCOURTESYのクリエイティブディレクションを務めるなど、アート・ファッションの枠にとらわれない、多様な活動を行っている。

text:FRISK JOURNAL
photo:清水健吾